★不測の事態を避けるために


いまニッポンでは、多くの表現と言論が萎縮を 強いられています。


表現の萎縮展は、お気持ちや炎上等によって怖くて面と向かって表現したくてもできないので萎縮した表現や昔の深夜番組みたいなユーモアを集め、思い出した時期に展示するプロジェクトです。

2019年の、なんとかナーレではキャベツの妨害がきっかけになり突然萎縮したくなりましたが、内外の作家や野次馬どもの支援を受け、より強度の強い『萎縮』表現の地平を垣間見ることができました。
今も”萎縮”の極北を目指しがんばってます。

ポリコレ、政治的対立、刑法175条、お気持ち、Twitter、エッチな絵、コンプライアンス……

そんな深く考えず気軽に作品を発表をしたいですが、それによって社会や人々にいらん不安や断絶をあおり、刺すか刺されるかのより殺伐とした社会が形成されようとしています。
私たちはみんなと仲良くしたいです、ですが表現し続けないと大変ストレスが溜まり始末が悪いので妥協案として表現を萎縮する方法を選び取りました。
表現に課せられる責任について、多くの方たちと一緒に考え、自由と自己決定を愛する社会をともに作りあげたいと考えています。


★表現の萎縮展の誕生

 2019年「表現の萎縮展」は経緯が曖昧のまま誕生した。
 大きい国際芸術祭ではない方の「なんとかナーレ」が訳のわからないまま中止の決断を余儀なくされたが、関係者の力で淡々と何かしらの退屈を紛らわせる事はないかという思いを共有した者たちが集まりオフ会を結成。これに共感し、場所を貸してくださったのが特殊書店BiblioManiaさんである。
地元・女子大の人々、表現の萎縮展が行われるとの現場に駆けつけた有名無名覆面作家など総勢20人ほどが集まった。
不当な過激派グループの妨害、嫌がらせは特になく、様々な経験から楽に金儲けはできないか?どこでゴミを拾ってくるか等のアイディアが有機的につながっていき、展示作家のモチベーションも昂り抑えるのが大変になったり、どんどん作品が集まったり、また会期中は来場者も口コミで増え当時の世間の注目の高さが伺えつつひっそりと平穏無事で楽しかったと、当時の実行委員会は振り返る。

「表現の萎縮展」のその後には日本で、表現の自由戦士やポリコレ、ツイフェミやキャンセルカルチャー、排外主義、
「表現の自由」を軸にしたネット炎上や水掛け論が頻発し、知らないうちに社会全体が萎縮されるという事件が度々起こっていた。
こちらの方は特に気にすることはなかった。

 このように、知らないうちに表現の自由が次々と萎縮されている。
こうした事態を可視化し、表現の場・機会をなんか面白い方に持っていこうという話がその後交わされていった。
それから3年、コロナが猛威をふるいソーシャルディスタンス、手をきれいになどより清潔に純血に潔白に白痴を尊ぶ公衆衛生は現実社会とともにし過激化し、インターネットと日本社会に鑑みて怖い人に怒られないことを祈りながら再び開催することとなった。

そして私たちがステイホーム中、暇なので見ていた「サイバースペース独立宣言」の重要性について再発見させられたことがある。

   『〜(中略)〜我々の事はほっておいてくれ〜(中略)〜』


とてもいい言葉だ。
感動を覚えた。
その言葉の中に重みと人類の歴史とこれまで勝ち取ったもの、そしてこれからの人類の行く末が全て力強く宣言された、これ以上の言葉はないだろう。
「萎縮」するなというのは容易いが、表現の自由がよくわかってない日本社会でそれにどう抵抗するかと言えば、具体的にウィットとブラックユーモアをあわせ、なんとかなれという実践の積み重ねが重要である。
「クリエーター、表現者の不安をシェアすること」と、ブヒれる表現が火災保険に入っていればいいやという表現の自由戦士の姿勢は、いまや「それはそれ、これはこれ」といえる場の確保にさえ不自由なこの日本社会で大切な戦い方の方法として学んだ。

大切なのは、感情的で不当な攻撃や妨害の最前線に立つ二次元とかエログロ表現とかを傷つけないよう、都合の良い態勢をどうつくるかということだった。


世界にLOVE&Peaceを^^。


 



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